万世大路〜国道13号線 旧道


万世大路諸説

国道13号線は福島県福島市〜秋田県秋田市までを結ぶ幹線国道です。
その中でも福島県福島市と山形県米沢市を結ぶ区間に、現在の姿からは想像も付かない
非常に険しい場所に作られた旧道が存在しています。
この道は明治14年、時の山形県令(知事)・三島通庸が地元住民に無償の強制労働
を強いることによって完成した全く新しい道で、米沢市側には「刈安隧道」、福島市側には「二ッ小屋隧道」、
そして峠部には竣工当時日本最長となっていた「栗子山隧道」が掘削されました。
同年、開通したばかりのこの道は東北巡幸中の明治天皇によって
「万世大路」(ばんせいたいろ)と名付けられました。
道は馬車もゆうに通す幅員があり、大変な賑わいを見せたそうです。

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しかし、その後明治32年、奥羽本線の開通によって物資等の輸送の本流が鉄道による
輸送へと移行したのをきっかけにこの万世大路は衰退して行きました。
時は流れて昭和初期、車社会の到来によりこの万世大路もその流れに対応すべく
「昭和の大改修」が行われました。
この大改修ではそれまで馬車までしか通れなかった道に車を通す為に
大規模な幅員拡張や路線変更等を余儀なくされました。
その結果、米沢市側にあった刈安隧道は切り通しになり、橋梁は掛け直され、
そして隧道も路面を掘り下げ、断面を拡幅する大工事となりました。
特に峠部の栗子山隧道においては米沢側で明治時代に開削された坑口を廃し、
新たに坑口を設ける工事が行われました。
かくして昭和12年、自動車の通行も可能になり、一時は鉄道に主なる流れを譲っていた
万世大路もその役割を獲りかえすことになります。

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栗子峠は一大幹線道路として一級国道にも指定され、日々多くの車を
導き続けていましたが、そんな道にも一つ重要な課題がありました。
福島−山形県境に位置するこの峠は日本を「太平洋側」と「日本海側」に分ける
分水嶺にもなっている「奥羽山脈」越えの道であった為、冬季間の豪雪により
一年の1/3にも渡る通行不能時期を抱えていた、ということです。
このことから新たな道を開削すべく、調査を進めた結果、栗子隧道(※)から
南に500m程の地点にトンネルを掘れる見通しが立ち、
かくして現在のトンネルである「東栗子トンネル」及び「西栗子トンネル」の
2つの長大トンネルの建設が始まったのです。
そして昭和41年、これらのトンネルは開通、ここに至る国道にも新たなコースが
取られ、山はトンネルで貫き、谷には長大な橋を架ける事で
立派なハイウェイとして生まれ変わり、現在では一年を通して莫大な交通量を
消化できる幹線国道として機能し続けています。

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新道が完成し、それまでの国道「万世大路」は急激に廃道化、
そしてこの道沿いにあった宿場町や集落は廃れ、消えて行きました。
峠にあった栗子隧道は旧道化からわずか6年後の昭和47年には
大落盤に見舞われ隧道は完全に閉塞、通行不能となり明治14年、三島によって
開削され、多くの人を送り出して来た隧道はその生涯を閉じました。

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栗子隧道の崩落から約40年、廃道化した峠部分およびそこに至る
旧道と合わせてレポートします。

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(※)明治14年の隧道開通時は「栗子山隧道」でしたが、昭和の大改修を経て
「栗子隧道」と改名されました。
栗子山隧道の米沢側坑口は現存する為、現在でも明治の坑口は「栗子山隧道」、
昭和の坑口は「栗子隧道」と言って区別します。



 2004年4〜5月 取材分
高平隧道 旧道 その1 その2 その3 その4
旧山神橋 その1 その2 その3
中野第一トンネル 旧道 その1 その2 その3
中野第二トンネル 旧道 その1 その2 その3
〜大滝宿諸説〜
大滝第一トンネル 旧道(大滝宿) その1 その2
大滝第ニトンネル 旧道 その1 その2 その3
猪橋&日向橋 その1 その2 その3
新沢橋 その1 その2
旧新沢橋跡 東側1 東側2 西側
新沢橋〜飯坂スキー場跡 その1 その2 その3 その4 その5
栗子峠福島側
(二ツ小屋隧道〜栗子隧道)
その1 その2 その3 その4 その5
その6 その7 その8 その9 その10
最終回
栗子峠山形側
(米沢砕石〜栗子隧道)
その1 その2 その3 その4 その5
その6 最終回
  栗子隧道福島側 失敗の巻
2005年5月 取材分 
福島側-2005年春-
[栗子隧道福島側攻略の巻]
その1 その2 その3


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