旧国道13号線 新沢橋

その2


猪橋跡、日向橋を越えると深い沢を一気に渡る立派なアーチの曲線が見えてきます。
現道からもその美しい姿を見ることが出来る「新沢橋」です。
新沢橋は昭和の大改修時に新規に竣工された橋で、それ以前はもう少し北側に
旧「新沢橋」がかけられていました。現在では橋桁のみの姿となった”旧”橋も合わせてレポートします。





↓↓↓新沢橋の場所↓↓↓
mapion

通行日 
2004年5月8日
走行レポート


※レポート中の写真をクリックすると大きな写真(640×480)が見れます。


(この区間は地図に掲載されていないので概略図をを作成しました。
レポート中の番号は概略図の番号に該当しています。)
概略図はこちら




新沢橋。
昭和12年竣工。




親柱は銘板等は失われているもののきちんと現存しています。
(4基残っていたかは失念してしまいましたが・・・3基は確認済みです。)

TUKAさんより情報を頂きました。
親柱は4本とも残存していることを確認済みであるとのことです。
あー、良かった(^^)





7 地点
橋上は植物が生い茂り無残な姿になっていました。
竣工当時は人々が集い、その立派な姿に歓声が上がったであろう
この橋も現在は渡る者も無く、ただ藪に埋もれるのみ。




完成当時は鉄製の欄干がありましたが、現在ではガードレールの
素っ気無い欄干に取って代わってしまっています。
戦時中の鉄の供給で徴収されたのか?
もしそうだとすれば完成からわずか10年未満で初代の欄干は
役目を終えたことになりますが・・・




遠くから見ると立派に見えるこの橋も近くからこうして見てみると
コンクリート製のその体はいたるところで痛みが進んでおり
痛々しい姿になっています。
やはりこの周辺の豪雪がよりこうした痛みの進行を
早めてしまっているのでしょう。




新沢橋の先は穏やかな道が続いているように見えます。
こうして見るとどこまでが橋がわかりづらいですが
写真中央右に少し見えている親柱のところまでが橋です。




その親柱は先ほどのものよりも状態が良く、
ほぼ完全な状態で残っていました。
それにしても親柱の上がいやに平らになっていますが
何か飾りが乗っていたんでしょうか?




新沢橋を渡るとすぐにごらんのような碑が見えてきます。




8 地点
「殉職警察官の碑」
明治22年1月、福島の飯坂警察署の巡査が犯人護送の任務の帰途、
猛吹雪に見舞われ必死の捜索もむなしく死体となって発見される。
というこの警察官を弔う為の碑です。
碑の建立は昭和35年9月で、実際の遭難現場であるここより北西に500mの
旧国道沿いに中野地区防犯協会によって建立されたものでしたが、
栗子ハイウェー(現国道)の開通により遭難現場が廃道化したため、
遭難100回忌供養と飯坂町防犯協会連合会30周年にあたり
昭和61年12月にこの場所へ移設したものです。




9 地点
碑に手を合わせていざ出発です。
ここで道は2手に分かれますが旧道は右方向です。
左方向の道は殉職の碑の供養に訪れるための連絡路と
なっており、即現道に降りることが出来ます。
新沢橋へのアプローチも通常はここから行うと
車から降車後、徒歩数分で辿り着けます。
ここまでの行程はなんだったんだ!と怒らないで下さいね(^_^;
あくまで旧道を「辿る」のが目的ですから。。。



つづく
(新沢橋西詰〜飯坂スキー場跡)




新沢橋 その1 / その2
旧新沢橋 東側1 / 東側2 / 西側



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