国道13号線 大滝第一トンネル 旧道(大滝宿)


大滝宿諸説


明治14年、三島通庸によって開削された万世大路。
その建設基地にもなった集落が大滝宿です。
集落成立の発端としては明治10〜12年頃に山林の払い下げがあり、
山麓の農民が入植したとの記述があります。
万世大路沿いの宿場として物資の輸送、人馬の交通が耐えることは無く
大変な賑わいを見せたそうです。

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この万世大路が開通する前、福島から米沢へ抜ける道に
「板谷(米沢)街道」がありました。
これは福島市庭坂に始まり板谷峠を越えて米沢に至る街道で
江戸時代から続く、参勤交代にも利用されていた由緒ある道なのです。
こちらの街道にも「李平」という宿場があり大変賑わったそうですが、この板谷街道、
車(馬車等も)が通行不能であり、人馬の通行も容易では無かったということから
板谷峠越えは苦労があったことと思います。
明治の初めには県道にも指定され、賑わいを見せていた街道ですが
車両も通れ、人馬の通行も容易な万世大路の開通によってその利用数は激減。
さらに追い討ちをかける様に明治32年の奥羽線が開通し
板谷街道は完全に息の根を止められ江戸時代から約350年に渡り続いた
街道はその生涯を閉じました。

※この板谷街道については相互リンク先の「街道Web」様で詳しくレポート
されていますのでそちらをどうぞ。

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こうして板谷街道を半ば犠牲にして取って代わる形で生まれ、栄えた大滝宿も
現在の「栗子ハイウェー」の開通後は訪れる人も少なく、また深い山中に
あるため生活水準も決して高くはなく、電話や電気についても導入が
かなり遅れていたそうです。
そのような理由から人々は山を降り村は廃村となってしまいます。
板谷街道に代わる一大幹線道路沿いの宿場として栄えた大滝宿もまた、
新道に取って代わられてしまったのは皮肉ですね。
その後、バブル期になってこの歴史の宿場を観光地化する計画があり、
店が作られ、茶処が作られ、また見世物小屋が作られました。
かつて賑わいを見せた宿場の往時の雰囲気を再現しようとしたのでしょうか。

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現在では大滝宿の入り口と少し先に数軒の営業中の店があるものの
訪れる人もほとんど無く、村の中に入ると廃屋が立ち並び寂しさが漂っています。
・・・かくして大滝は再び静けさを取り戻しました。

そして現在、東北中央自動車道の計画が進められており、
万世大路の栗子隧道の直下を貫く「新栗子トンネル」が掘削される予定です。
皮肉にもその福島側坑口はこの「大滝」のあたりになるそうです。
今後の交通事情から目が離せませんね。



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