旧国道13号線 旧新沢橋

西側


旧猪沢橋、旧大路橋を越えると深い沢を一気に渡る立派なアーチの曲線が見えてきます。
現道からもその美しい姿を見ることが出来る「新沢橋」です。
新沢橋は昭和の大改修時に新規に竣工された橋で、それ以前はもう少し北側に
旧「新沢橋」がかけられていました。現在では橋桁のみの姿となった”旧”橋も合わせてレポートします。





↓↓↓旧新沢橋の場所↓↓↓
mapion

通行日 
2004年5月8日
走行レポート


※レポート中の写真をクリックすると大きな写真(640×480)が見れます。


(この区間は地図に掲載されていないので概略図をを作成しました。
レポート中の番号は概略図の番号に該当しています。)
概略図はこちら




17 地点
ここが旧新沢橋西側への分岐点。
昭和の万世大路は左カーブのヘアピンで、明治の万世大路は
写真の奥方向からこちらに合流する形になっています。




ヘアピンから奥に入るとそこはもう明治の道。
長い年月が経過してもなお、東側同様に路床ははっきりと残っていました。




しかしそれも季節を選んでのこと。
東側と比べればその道のりは荒れており、
夏にはこの視界のすべてが緑に覆われてしまうことでしょう。




20 地点
道端に残る水準点のようなものを発見。
実はこの後、この峠の探索をするに当たってこの石の標示が
沢山発見されることになります。




それにしてもやはりすっかり自然に帰ってしまっている明治道。
自動車道として整備されたわけではなく、通っても馬車程度
であったためかやはりその施工(自然破壊度:とあえて言わせていただく^^;)
は必要最低限のものであったのでしょうね。




21 地点
そして現れた旧新沢橋西側で最大の見所はやはりこの切り通しでしょう。
「中野第一トンネル 旧道」にあった巨大な切り通し程の規模ではありませんが
これも十分に迫力のある施工です。




切り通しを過ぎるとほぼ直角に切り立った岩の崖。
しかし・・・これは




22 地点
案の定これは巨大な崩落現場でした。
崩落現場を覗き込むと非常に崩れやすい土砂のような
斜面がはるか下の沢に向かって続いており、
なんとか奥にいけないものかと試行錯誤しましたが
やはり安全を考えて撤退としました。
結局旧新沢橋西側にたどり着くには一旦沢に下りて
橋台跡を登る方法が確実のようです。




岩の斜面の頂点にはいまにも落ちてきそうな岩が・・・
旧新沢橋西側直前にてあえなく撤収です。




17 地点
そして再び昭和の道へ。
さて、先へ進みますか・・・



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新沢橋 その1 / その2
旧新沢橋 東側1 / 東側2 / 西側



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