旧国道13号線 栗子峠

福島側

その4
(二ツ小屋隧道内部)


高平隧道旧道に始まり旧山神橋、中野第一・第二トンネル旧道、大滝第一・第二トンネル旧道、
旧猪沢橋、旧大路橋、新沢橋、旧新沢橋、そして連続ヘアピン区間。
栗子峠へのアプローチ道路の旧道群を紹介してきましたが、
いよいよ栗子隧道福島側坑口への区間が始まります。

隧道周辺を多いに探索した2人はやっとこさ隧道内部へ。
予想以上に隧道は痛みが激しいようです。






↓↓↓二ツ小屋隧道の場所↓↓↓
mapion

通行日 
2004年5月2日
走行レポート


※レポート中の写真をクリックすると大きな写真(640×480)が見れます。


(この区間は地図に掲載されていないので概略図をを作成しました。
レポート中の番号は概略図の番号に該当しています。)
概略図はこちら





やっと隧道に入る。
しかし何度見ても重厚な坑門である。
煉瓦の質感、門柱の重厚さ、迫石の美しい曲線。
どれをとっても素晴らしい隧道だ。
扁額も少々石材の風化があるものの健在である。






隧道に近づくと天井に電線を引いていた名残が見える。
この先にあった「大平」の集落に電気を引いていたのであろう。




17 地点
隧道内部へ。
さすがに暗いが自然とまったく恐怖感は、無い。
2人とも持参したライトを点灯する。
おばらさんのライトは100万カンデラもの光度を持つ素晴らしいライトである。
ただ連続点灯時間が短いのが難点だそうであるが・・・
自分のはLEDライトで結構明るいのであるがさすがにこれには敵わない(;^_^A

この写真一枚からでも隧道の内部が大分傷んでいるのがお分かりいただけると思う。
おばらさんのライト(黄色)で照らされている部分からは小便小僧(?)のような
「ピュー」っというような出水があり、また左側の内壁からも「ジャバジャバ」と
漏水している。遠くからも漏水のような滝のような音が響いてきている。
瓦礫もゴロゴロ、しかしいまだ車の通行が可能であり、
閉鎖措置も取られていない、国道の隧道としてはその役目はとうに終えているのだが
現在でもいろいろな目的を持った人がここを訪れている。
そうして利用され続ける限り「廃」隧道ではないのである。




内壁はこの有様。
自然の岩の面が見えてしまっている。
崩壊の具合の割には崩れだした土砂が少ない。
だれかが撤去しているのか。





崩壊写真集を集めるの図(汗)
左上と右上は同じ瓦礫であるがご覧のように四角いブロックのような、
そう、さきほど坑門上に登る際にあった「四角い瓦礫」と同様の形をしている。
左下は崩壊部分からの出水である。なにやら岩の質感が
鍾乳洞の石のようにテカテカと光っている。
そして右下の写真では内壁にポッカリと穴が開き奥の空洞が見えている。
この場所も崩壊した土砂があったのだろうがやはり片付いている。
奥には「四角い瓦礫」が見える。いったいこの石は何なのだろうか?
それと一緒になんと木の支保工の残骸のようなものが見える。
ここは写真のようにコンクリ巻きの境目になっており段差があるが
丁度そこから一段コンクリ巻きが厚くなっている部分の裏に木の支保工が見えるのだ。
明治の旧隧道には木巻立部分が98メートル含まれていたとの記述があるが
もしかしてその部分を単にコンクリ巻きしただけなのか?
しかもこのコンクリ巻きには鉄骨が入っていない、ただのコンクリの層である。
状況は後で詳述するが米沢坑口ではこれが災いして連続崩壊を起こしている。




18 地点
米沢坑口に近づくに従って次第に当初から聞こえていた滝のような漏水の音の
正体が近づいて来た、犯人は写真の漏水である。
右の写真を見てもらいたい。ご覧のように異常なまでに漏水している。
いや、これは厳密には「漏水」とは言わないかも知れない。
その答えは水が出ている穴を見上げてみれば分かる。
なんと穴からは外が見えるのだ!穴は外につながっている。
つまりでているのは地下水ではなく季節柄、山からの雪解け水が斜面を流れて
単に「空いている穴から入ってきている」だけだ。
なんとも単純な原因だ。
しかしその単純な原因でも内壁のコンクリを除々に剥離させていっている
のは写真からもお分かりの通りである。
なお、「山形の廃道」のfukuさんによれば岩が詰まって水が出ていなかったり
することもあるということであるから、この外側に面している場所はたまに
落石などもあるということなのか。
もしかしてここに穴が空いてしまったのも、度重なる落石で内壁が外部から
破壊された結果なのかもしれない。




どのくらいの出水量なのかはこの動画を見ていただければよく分かる。
その驚愕の出水量をとくとご覧あれ。
ちなみに動画で滝の近くで頑張っているのはおばらさんです(^o^;
(上の写真をクリックすると動画開始です。)
(mpgファイル 約1MB)




19 地点
そうして内部をゆっくり観察しながら15分程で反対側へ到着。
その立派さや重厚さは福島側と同様であるが、
こちら側は隧道脇の法面やコンクリ内壁の剥離が痛々しい。
隧道脇の白いものは剥離したコンクリである。
このコンクリには先ほど言ったように鉄骨が入っていない。
いわゆる「鉄筋コンクリート」ではないのだ。
鉄骨も入れないでただ巻いただけでは耐久性が弱いことは
土木建築の技術について無知な者にとってさえすぐに分かる。
当時はそういった安全に対する考えなどは現在よりずっと低かったのかもしれないが。
コンクリの「膜」は先ほどのコンクリ巻きが段差になっている部分まで続いている。
いずれこの部分すべてが崩れ去るもの時間も問題なのか・・・
fukuさんのサイトでレポートされている写真は1996年当時のものだということである。
これを見る限りでは現在見られるような内壁の剥離はまだ無い。
このような崩壊は近年になって急速に進んだようだ。




坑門脇の処理も崩壊が進んでいた・・・




そして隧道の先に万世大路は続いていく。
この先、3つの橋で沢を超え、ひたすら山を巻き、困難を乗り越えたものだけが
たどり着ける遥かなる地に目的の栗子隧道は眠っている。
自然と気合が入る瞬間である。



つづく
(烏川橋)




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