旧国道13号線 栗子峠

山形側

最終回
(栗子隧道山形側)


栗子峠福島側を攻略したおばらさんと管理人は続いて
山形側から隧道へのアプローチに挑むことにした。
疲労困憊の体に鞭打って再び戦いが始まる・・・

長く続いてきた万世大路関連レポもついに最終局面へ。
最後を締めるのは万世大路最大の遺構、栗子隧道。その山形側閉塞点に挑む!
「旧国道13号線 栗子峠 旧道」最終回。






↓↓↓米沢砕石付近の地図↓↓↓
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通行日
2004年5月2日
走行レポート


※レポート中の写真をクリックすると大きな写真(640×480)が見れます。




言わずと知れた栗子隧道山形側。
いざ突入!




福島側同様、扁額は相変わらず立派な書体で力強い。
が、隧道自体の痛みは相当に激しく、表面はすっかり剥がれ落ち
ボロボロになってしまっている。
表層はポータルの上部に辛うじて残っているようではあるが・・・
ついでに扁額も周りが削られて出っ張っているように見えるほどである。




内部の痛みも激しい。
断面はしっかりしているが、天井にはヒビが入り、崩れ落ち
瓦礫の山を形成している。






それではその痛みっぷりをよくご覧頂こう。
変わった形の氷が残っている。冬は天井まで伸びる「つらら」が出来るそうで
その溶け残ったものだと思われる。
内壁は崩れ、剥がれ、ぶら下がっている。
同時期に改修された二ツ小屋隧道と違い、隧道表面を覆うコンクリには
ちゃんと鉄骨が入っているのが分かる。
でもこの鉄骨、少し細いんでない?と思ったのだがどうだろうか?
お隣の明治隧道では冬季間の雪の吹き込みを多少なりとも防ぐ意味合いで
山形側の坑口を曲げて作られたのは前に言ったが、
こちら昭和の隧道ではまっすぐに作られている。
入り口部分の痛みが激しいのもそういう理由も多分にありそうだ。




入り口を振り返る、左の山は残雪。
すでに我々は本当の意味で奥羽山脈の”中”にいるのだ。






さて、隧道の状態の続きだ。
崩れた天井の上にはもう一つ天井があるように見える。
そしてその空間には・・・なんと木が!
昭和40年代初めまで使われていた、しかも幹線国道の隧道が
木材で補強されていたのである。
そして木材の補強はまるでその存在を隠すかのように、
細い鉄骨が入ったコンクリの”膜”で化粧されているのが分かる。




壁面には使命を終えてぶら下がった電線と思われる線と金具。
当時は電線や諸々の信号線の類はこの隧道内を通されていたのかもしれない。




縦横無尽に入っているヒビと染み出してきている何かが、
まるで血管を連想させる。
まだこの隧道は「生きて」いるのか。
しかし、間違いなく瀕死の状態であることだけは確かだ・・・
隧道の状態はというと、見た目上は進むごとに良くなってきているようだ。
得に障害物も無く、漆黒の闇がどこまでも続いている。
いや、正確には「どこまでも」では無く崩落地点まで、だ。




もう大分進んできている。
天井には若干の綻びが・・・こういうものが崩壊のきっかけになるのだろう。

よく見ると路肩には排水溝のような蓋が確認できる。
そして、それはいまだ機能しているようだった。
福島側に溜まっている水はその時によってその水位が上下するというが
それにはこの排水溝が若干ながら貢献しているのかも知れない。




と、不意に照らし出された白いもの。
来た。




入洞から約15分後。
ついに目にしてしまった・・・栗子隧道崩落現場である。
絶望的な崩落を前に付け入るスキがまったく無い。
隧道は完全に閉塞しており、圧倒的な圧迫感をもたらしてくる。
前言撤回、この隧道は完全に「死んで」いる・・・




そしてこの崩落現場の部分はご覧のように一回り分厚いコンクリで
巻かれているのが確認できる。
実はこれには理由があるようである。

以下、「かげながら」様から頂いたこの隧道の情報である。

栗子隧道は現道時代に一度崩落を起こしていまして
昭和24年に工事を実施しています。
内側からもコンクリートを巻きたてたので、
これで大型車のすれ違いが困難になりました。


ということである。
ここがまさに内側からコンクリを巻きたてた部分ではないのか?
そしてここは以前も崩落したことがあるいわば隧道のウィークポイントで
廃道化後、再び崩落を起こした。と考えられる。
もしそうだとしたら、昭和47年の再崩落まで20数年しか経っていないことになる。
こりゃ、相当なウィークポイントだ・・・

ついでに二ツ小屋隧道についても情報を頂いたのでここに掲載させて頂く。

二ツ小屋隧道は、昭和28年に、福島県の手で補修工事が
行われています。
 さらに、二ツ小屋隧道自体、改修時にコンクリートの不足
等から、坑内が設計どおりに巻きたてられていないという話があります。


このコンクリ不足だったというのが、内壁があの薄っぺらい、鉄骨も入っていない
「コンクリ膜」になってしまった理由なのだろうか・・・
どちらの隧道も改修に当たっては色々と問題があったようである。






崩落地点にはいったい誰の仕業なのか、ご覧のような状態になっていた。
まるで三途の川である。
・・・「死んだ」隧道にはうってつけ、というわけだ。
そこでおもむろにリュックからシャーペンを取り出し、ここに到達した記念を残すことにした。
右上のように「栗子隧道の一部」を形成していた瓦礫に
記録を残してきた。誰かが故意に投げ捨てない限り、隧道が崩落しない限り、
場所が場所だけにこれが無くなることはないだろう。

(2004年11月におばらさんが再びここを訪れ、この石を確認したそうである。
無くならないと分かっていても「まだありました」との情報は単純に嬉しかった
今後も残り続けますように・・・)




隧道も見た、崩落地点も見た、記念も残した。
これで成すべきことは全て終わった。
さあ、帰還開始だ!




漆黒の闇の中で35分ほどの冒険だった。
今は、とにかく一刻も早く光を浴びたい。
足早に出口へ向かった。




そして無事に隧道を脱出、太陽がこんなにも眩しいとは・・・
何か特別な明るさに思えた、太陽エネルギー補充完了!

そして、もう一度その姿をしっかりと目に焼き付ける。
ここに再び来ることはあるのか。
その時も同じ姿でいてくれるだろうか・・・




そう考えながら踵を返す。
すでに時刻は16時半、こんな山中で夜を迎えるのだけはゴメンだ。


*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*




そして無事に車の元に帰ってきた時には17時半近くだった。
行きは2時間半の道のりを約1時間弱で下ってきた。
自転車様々である。

最後にもう一度隧道の方向を振り返って栗子の地を後にすることにした・・・


*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*


探索後、一目散に山を降りた。
そして福島市の町並みが見えると妙にホッとした。
普段ならば「やっと福島か・・・郡山までもう一頑張りだな」となるところである。
それがなぜかもう帰ってきた気になっていた。
不思議なものだ。
その後、おばらさんとファミレスにて数時間にも渡って話した。
周りで楽しそうに話す人達、よもや我々がつい1時間ほど前まで
「あんなところ」にいたとは思うまい。
実はファミレスにたどり着くまでも、極度の緊張から解き放たれたせいなのか
強烈な眠気に運転しながら「意識」が飛びそうになった。
さらに、おばらさんも「意識」が飛びそうになったそうだ(汗)
・・・とにかく強烈な体験をしてきたことだけは確かだ。
自分一人では恐らく達成できなかっただろう。
そして、そんな強烈な時間を共有できる人がいて良かった。

おばらさん!ありがとうございました!


*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*


長く続いた(冗長だった?)万世大路探索もこれでようやく終了です。
とにかく辛かった、それしか記憶に無いです(^-^;
しかしそれに見合うだけの価値ある有意義な探索だったことは言うまでもありません。
絶対また行くぞ!栗子隧道!



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