国道121号線 大川ダム 旧道

その10


国道121号線、会津若松市と下郷町の境に広がる若郷湖を作り出した大川ダム。
この大川ダムによって旧国鉄会津線、三島通庸によって建設された会津三方道路、そして
いくつかの集落が湖の底に沈むことになりました。
しかし一つだけ水没を免れたものがあります、それは国道。
恒例のダムレポート、開始です。





↓↓↓若郷湖(大川ダム)の場所↓↓↓
mapion

通行日 2004年9月25日
走行レポート


※レポート中の写真をクリックすると大きな写真(640×480)が見れます。


ダム周辺の旧道概略図+αはこちらです。

※使用している空中写真は「国土画像情報(カラー空中写真) 国土交通省」
よりの使用です。





もうダムは目前、いよいよR121旧道探索もクライマックスが近づきます。




50 地点
さらに旧道を進むと、だんだんと流木が多くなってきます。
このあたりから水量によっては水没するのでしょう。
樹皮が剥げて真っ白になった木がゴロゴロ。
しかしまだ最初は良かったのです。




先ほどの現道の橋が見えてくるあたりになると
とうとう地面のほぼ全てが流木で覆われてしまいました(-_-;
さらにはドラム缶、ゴミ、とにかく色々な物で道が埋め尽くされて
歩き辛い・・・慎重に進みます。




51 地点
それでは先ほどの橋の全貌をご覧頂きましょうか。
この橋、三沢という沢を跨ぐ橋で
向かって右側が:「沼尾トンネル」 竣工 1981年12月 延長 251m
向かって左側が付け替え国道で最も長い「下郷トンネル」 竣工 1981年12月 延長 1392m
となります。




ここは北から順に小沼崎トンネル、沼尾トンネル、下郷トンネルと並んでいますが
先に申し上げた通り、ダム建設に当たってまず最初に作られたのが小沼崎トンネルです。
小沼崎トンネル通ってダム建設現場をスルーした国道は再び旧道へ戻り、
今、この場所を通っていたのですね。




流木の海を慎重に進んでいくと、目の前に先ほど上から見えた橋が見えてきました。
橋の前後は少しだけ藪化しており、そこを境に流木は無くなります。
そしていよいよ先ほど通った「左側の道」が正面に迫って来ました。
いよいよ終了間近!




52 地点
藪をよいしょと跨ぐと、端の全貌が見えてきます。
橋は中央線は無いものの、明らかに2車線幅はあるようです。
路肩を示す白線が光ってますが、その線が消えているところからが橋です。






そうして橋の上に出るの図。
橋の上はなにやら簡易的にコンクリの板?のようなものが
乗っているだけのように見えます。
脇から見ると橋台はしっかりとコンクリで作られているようですが、
橋桁と橋上に乗っている板の間には隙間があり、やはり
ただ乗っけているだけみたいです。
現役時代からこんなはずはないので、ダム関連の工事でこのような姿に
なってしまったのだと考えていますが・・・
橋名、竣工年、等々は不明です。




さて、橋を越えるともう少し旧道が続いているようです。
しっかりとアスファルトの路面が残っています。
左側の路肩の擁壁が迫ってきて、少しずつ道が狭くなっていく・・・





53 地点
そして、辛うじて「追い越し禁止」の中央線が残る
アスファルト路面は藪の中に埋もれて・・・
「左側の道」に吸収され、あっけなく終・了です。




振り返って撮影。
ここまででR121ダム建設旧道区間は全て辿ったことになります。
長かったなぁ(レポが^^;)
山の斜面に続く白い線は「左側の道」のガードレール、
その一段下に見える段差が旧R121の路面です。
遠くには大川湖面橋が見えました。

谷底を流れる大川、遠くに見える山村の集落、
何処からとも無く聞こえてくる蒸気機関車の音・・・
もう30年早くここに立てていたらそんな懐かしい風景に出会えたことでしょう。
それも今は全てがダムの底。

そんなことを感じる風景でした。





54 地点
最後に大川ダム本体をご覧頂き、本レポ終了とさせていただきます。
冗長なレポですみませんでした(^_^;
秋田の湯田ダム(錦秋湖)みたいに水抜しないかなー
そうすれば色々と水没遺構の調査が出来るのに・・・(ノ-o-ボソッ



おわり


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