国道121号線 大川ダム 旧道

その3


国道121号線、会津若松市と下郷町の境に広がる若郷湖を作り出した大川ダム。
この大川ダムによって旧国鉄会津線、三島通庸によって建設された会津三方道路、そして
いくつかの集落が湖の底に沈むことになりました。
しかし一つだけ水没を免れたものがあります、それは国道。
恒例のダムレポート、開始です。





↓↓↓若郷湖(大川ダム)の場所↓↓↓
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通行日 2004年9月25日
走行レポート


※レポート中の写真をクリックすると大きな写真(640×480)が見れます。


ダム周辺の旧道概略図+αはこちらです。

※使用している空中写真は「国土画像情報(カラー空中写真) 国土交通省」
よりの使用です。





14 地点
現道に合流後、すぐにこの標識のあるところから分岐するのが旧道です。
ピンボケ写真ですみませぬ。




15・16 地点
上を通っているのは現・大川橋です。
まるで首都高みたいだ!と思ってしまいました(^_^;
(この田舎モン!)
右の写真は新旧大川橋を振り返って撮影しました。
この撮影地点から旧道から現道へ接続する非常に幅員の広い道があります。
(その入り口が右の写真の左端に少し写っています)
この道は大川橋の完成前、国道であったことがある道です。

次の写真をご覧ください。



これは昭和51年当時の空中写真ですが、当時はまだ
現在の大川橋は完成しておらず、旧大川橋を渡った後に
大きなヘアピンで現在の道へ登り、小沼崎トンネルへ向かっていました。
ダムによる国道の付け替えでトンネルは3つ掘られましたが、
この小沼崎トンネルのみ、旧道がダム建設の為通行止めになることから
他のトンネルに先立って開通しました。




その旧道から現道へ接続しているヘアピンの傍らにある標識、
ここが国道だったことがある名残として、「R121」の表記がまだ残っています。
現在では表記の通り、こちら側から国道へは進入禁止なので注意。




17 地点
旧道をさらに行くと、なんと交差点でもないのに信号があります。
これはこの先の大崩ロックシェッド内部の幅員の狭さ(満足に離合も出来ない)故の
苦肉の策?とも言える交互通行用の信号です。




18 地点
信号から少し先の大崩と呼ばれる崖の下に続くシェッド。
年季入りまくりの味のあるシェッドです。
ここの眺め、なかなか壮観ですよ!
ちなみにシェッドの外側に張り出すように半分空中に浮いている部分は
歩行者・自転車用の通路です。




シェッド内部はなんと石垣で施工されていた!
うーん、味ありすぎ(^_^;
反対側はこんな感じです。
ちなみに普段はこちら側は常に赤になっているようです。
(車両感応式の信号が設置されています。)
シェッド内での離合はちょっと難しいので現道時代からこうして
交通整理が行われていたのでしょうね。




19 地点
そして道は正面方向・ダム管理事務所や大川ダム公園駅がある大川右岸への道と
右方向・R121旧道(ダム下流広場との表記)に分かれます。
無論右へ。




20 地点
そしてまた現れた森の中の信号。
やはり幅員が狭い為の措置。




21 地点
道中、すばらしいものを発見!
昭和46年廃止の旧警戒標識、「注意 CAUTION」です。
ウン、状態も良好でよろしい。




そして進行方向にダムが見えてきました。
さて旧道はどこまで辿れるのか・・・





小奇麗な案内標識が現れなにやらゴチャっと分岐が書かれています。
さて、旧道はどっちでしょう?もうバレバレだ!
期待させるようなマークですねー、このマーク。
ついでに川の境界があるようです。
ダムは国土交通省の管轄なのでしょうか?





22 地点
そして分岐前に現れたこれまたすばらしい切り通し。
玉石と自然石と思われるもので構成されたその石垣は・・・
思わず「おお!」と言葉が出てしまいました、素晴らしい。
あー、これだから旧道はたまらない!




23 地点
そして分岐。
では「バレバレ」の方向へ進むとしましょうか( ̄ー ̄)
(写真にマウスを乗せると「バレバレ」の道が示されます^^;)



つづく


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