国道8号線 親不知海岸

その4





↓↓↓親不知海岸の場所↓↓↓
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通行日 2006年11月4日
調査レポート


※レポート中の写真をクリックすると大きな写真(640×480)が見れます。


   旧風波橋 




前回は北陸本線旧線に存在した2つの隧道をご紹介しましたが、
今回は再び旧道へ戻って凶悪線形な「風波川橋」と
その旧橋をレポします。



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天嶮区間を過ぎると国道は親不知駅のある「歌」の集落へと
風波川が作る谷を跨ぎ、一気に下ります。
そこに架かる橋、風波川橋。
ここにも旧橋が存在しています。




橋の東詰めから分岐する旧道。
正面に見えるトラ色の壁の向こうは深い谷底・・・





現道の風波川橋、昭和41年の竣工です。
地図を見ると、この場所で天嶮側と歌集落側の高低差埋める為に
道が山側に大きく迂回しています。
崖表示になっているので正確にはわかりませんが、
西側(天嶮側)と東側(歌集落側)の標高差は15mほどはありそうです。
直線距離で150m程なので直線で橋を架けると
傾斜は10%ですね(汗)
数値だとそうでもないように感じますが、実際10%と言ったら結構凄いです(^_^;
こうして一桁国道としては致命的なカーブとそこそこの傾斜で
天嶮側と歌集落側の崖同士をつなぎます。




写真では分かりづらいかもしれませんが、
カーブで緩和されているとは言え、この坂です。
雪の多いこの地方で冬場、夜間、路面凍結・・・
などの情景は想像したくないですね(汗)
標示も最高速度「30km/h」を示しています。




さて、旧道に入っていきましょうか。
旧道の入り口に来ると現道の橋の奥に
旧橋が見えてきました。
ん・・・・??あのアーチ構造は・・・





新沢橋!?

・・・なわけないですね(汗)


アーチなどの構造が似てるんでつい(^_^;
新沢橋は欄干が鉄製(現在はガードレール)だったり、
アーチ2連を繋いだ形になってたりと
良く見ると違うんですけどw
しかも風波川橋の竣工が昭和41年ということは、
この橋が旧道化したのもその時期なのだと考えると
新沢橋の旧道化と偶然にも同年なんですよね・・・

おっと、ここで新沢橋を知らない方の為に。
新沢橋は福島-米沢間を通るR13の旧道にある橋で
かの有名な「万世大路」の一部なのであります。
昭和11年12月竣工。
レポはこちらから。
↑こちらが新沢橋です。
写真がよくないですが、こうして比べてみると良く似てる・・・





さて、話を旧橋に戻しましょう。
欄干のアップです。
先ほど天嶮区間で見た路肩の縁石と同じ意匠のようです。
正確にはわかりませんが、この橋もやはり昭和初期頃の
竣工でしょうか?




さてさて、寄り道が過ぎますな。
先へ進みましょう。
旧道はこの先に接続する林道へのアプローチとして、
また仕事に疲れた労働者の一服場所として(笑)
現在も使用されているようです。




旧橋へは少し進んだこの場所から左へ直角カーブとなります。
正面方向(南側)の新しい白線が引かれた道は林道です。





真新しい林道の起点標識がありました。
まだ全線開通していないのか、延長や開設年度は空白のままでした。
林道を少し進むと北陸道の風波トンネルと親不知トンネル間の
明かり区間上に出ることが出来ます。

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ところで明治天皇の全国巡幸の際、糸魚川方面からやって来た天皇は
親不知・子不知区間の大部分を巡幸に際して整備された
山道を迂回することで天下の嶮を越えたようです。
と、いうのも巡幸の際にはまだ道が開通していなかったからですが
先ほど話に出た国道13号では巡幸に会わせて
当時日本一の長さを誇った「栗子山隧道」(867m)の開通式典を挙行し
「万世大路」という名も賜っています。
親不知の新道も明治天皇の巡幸からわずか5年後には完成の運びとなっていることからも
巡幸が新道建設の機運を相当に煽っていたことは想像に難くないですが、
もし、親不知の新道が巡幸に間に合っていたら
何かしらの名を賜れたのでしょうか。

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橋へ戻ります。
仕事でお疲れの方を起こしてしまわぬよう、
こっそりとガードレールを乗り越え旧橋へ。






旧橋は舗装ですが、案の定植物が茂っていました。
長い間に少しずつ土が運ばれてきてこうなってしまうんでしょう。
背の低い欄干の内側には明らかに後補のガードレールが設置されていました。
新橋の開通前から設置されていたとは思えない感じですが・・・
残念ながら親柱は失われており、正確な橋名や竣工年度は確認できませんでした。




旧橋から現道の橋を見るの図。
赤く塗られた橋の下方には北陸本線のトンネル
「風波トンネル」の坑口がチラッと見えています。
前回ご紹介した旧線の「風波隧道」は谷を挟んで西側にあるのに対して
現在線の「風波トンネル」は東側にあります。
写真の風波トンネルを出た列車は橋を渡って直ぐに
対岸の「親不知トンネル」を入り、天嶮区間は全てスルー、
市振駅直前まで一直線です。
あそこには旧線の隧道を使って行く事が出来ます。




短い橋を渡れば直ぐに現道に合流します。




渡ってきた旧橋と現道との合流地点。




合流地点より。
左側が風波川橋ですが、本当に凄いカーブです。
そこで地図上で曲線半径を計ってみると・・・
なんと半径は約30m(!)程度しか無いようです(~_~;
道の規格を定めた法律「道路構造令」によれば
制限速度30km/hの場合の最小曲線半径は30mのようなので
まさにギリギリ30km/hで留まっている訳ですね。
(これ以下だと20km/h制限)

車にとっては天嶮よりも険しい風波橋区間でした(^_^;




つづく


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