国道8号線 親不知海岸

その1





↓↓↓親不知海岸の場所↓↓↓
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通行日 2006年11月4日
調査レポート


※レポート中の写真をクリックすると大きな写真(640×480)が見れます。


国道8号線、言わずと知れた日本海側の動脈国道であり、
本州日本海側最大の都市・新潟市から日本の古都・京都を結んでいます。
この道は古くから「北陸道」として畿内と越後を結んでいた街道ですが、
その中でも旅人達が命がけで踏破しなければならなかったのが
この「親不知」と呼ばれる断崖絶壁の海岸でした。

北陸道一の難所と言われ、中でも”天嶮”と呼ばれ恐れられた区間では
断崖絶壁直下の僅かなスペースを、引き潮の折を見計らいながら
駆け抜けなければならないという非常に厳しい
区間であり、命を落とした人も多かったのでは、と推察されます。

親不知の名称には諸説あり、
「親は子を忘れ、子は親を省みる余裕すらなかった」
ことなどによるようです。

そんな親不知の難所・天嶮ですが、明治16年に
断崖絶壁の中腹に新たに道が築かれ
永きに渡って旅人を苦しめ続けてきた天嶮は
波を恐れることなく安全に通過できる場所になりました。

その後も幾度かの改修を経て、現在では国道8号線・
JR北陸本線・北陸自動車道が犇めき合っており、
将来は北陸新幹線もこの地を通過するという交通の要所となっています。

今回はそんな親不知海岸に残る旧道遺構群のうち、
天嶮〜子不知高架橋の区間を探索してみました。




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富山方面からR8を東進し、新潟県糸魚川市へ入ると
最初に現れるのが市振の集落です。
この集落が親不知までで最後の集落となります。
写真は北陸本線の市振駅。




この区間の北陸本線は越後湯沢〜金沢・福井を結ぶ特急が多く走る区間で
非常に重要な区間となっています。
写真は親不知を越えてきた特急。




市振駅前にはこの先に控える難所・親不知についての
案内板がありました。
ここから”天嶮”と呼ばれ恐れられた断崖絶壁の海岸が始まるのです・・・



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市振駅の東側にぽっかりと口を開ける「親不知トンネル」です。
ここ、親不知区間の北陸本線は昭和40年に現在の路線への
付け替えが行われ、それまで使われていた路盤は廃止となりましたが
廃線跡として今なお残されています。
旧線時代はトンネルは無く、写真のトンネル左脇を通っていました。




市振の集落を抜けると眼前に険しい風景が広がってきます。
いよいよ、天嶮・親不知へ!




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親不知のスタート地点。
崖に沿って延々と続く洞門が険しさを引き立てます。
先述したように現在でこそ絶壁の中腹に道が築かれ
容易に自動車の通行を許していますが、
明治以前の北陸道はこの絶壁の下、
押し寄せる波飛沫を受けながら、僅かな海岸沿いを走り抜ける
という命がけの行程でした。
現在の国道はその多くに洞門がこれでもかと言うぐらいに設置されており、
険しい箇所にはトンネルで難を逃れる、という作りになっていますが
命がけだった旅人達の必死な思いとどこか共通点があるような気がします。

ところで先述した北陸線の旧線跡が洞門の下に残されています。
この先にロックシェッドの遺構や、橋脚、旧隧道跡がそのまま残されているのですが・・・
それにしてもこの風景、大崩海岸に似てますねー(^_^;
旧線跡はこの先で旧親不知隧道へ入っていきます。
旧親不知隧道については後ほど出会うことになります。


   天嶮トンネル旧道 


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さて、それでは旧道レポを始めましょう。
長い洞門を抜けると現れるトンネル、
その名も「天嶮トンネル」です。
難所である天嶮の断崖をトンネルでショートカットしています。

洞門からトンネルへはご覧のとおり橋によって直線的になっていますが、
この橋の下は比高ウン十mにもなる絶壁。
車で走っている限り特段それを意識することなく
多くのドライバーが通過してしまうことでしょう・・・




ところで今抜けてきた洞門ですが、
名前は「浄土洞門」。
これは旧北陸道の時代からあった地名で
糸魚川方面からやって来て天嶮を抜け、まるで極楽浄土のように
穏やかな道のりになったことからこのような名前が付いたようです。
自動車にとってもこの浄土洞門を最後に
急勾配・急カーブが終わり穏やかな地形になります。




さて、トンネル方面へ。
ここは旧道が右側の藪の中に残されています。
完全に藪に埋もれていますが・・・







僅かなスペースに残されている旧道。
藪を抜けると旧橋が顔を出しています。






藪に埋もれかかっている旧橋。
橋の架かっている沢には砂防ダムがあり、
水門などもありました。
水門の隙間からは、新橋ゾッとするほどの高さにあることが分かります。
(写真だと分かりにくいですが・・・)




浄土洞門方面。
国道はこの先6%もの下り坂で一気に市振の集落まで下ります。
おまけに洞門で視界が悪い上、クネクネ道と来て
やはり一桁国道としては一世代前の規格であるということは
否めない作りになっています。




天嶮トンネル市振側坑口。
すでに開通より40年が経過しており、
やはり一世代前の規格ですが、天嶮の険しい地形にあって
この道を改良することは不可能でしょう。

「天嶮トンネル」

昭和41年竣工 延長736m





遊歩道と化した旧道。



つづく


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