国道8号線 親不知海岸

その7





↓↓↓親不知海岸の場所↓↓↓
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通行日 2006年11月4日
調査レポート


※レポート中の写真をクリックすると大きな写真(640×480)が見れます。


今回は探索の最終地点である子不知高架橋旧道までを一気にご紹介・・・
する予定でしたが、何気に長くなったので途中で切ります。
申し訳ないですm(_ _;)m



   洞川橋旧道 



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駒返洞門の次の洞門である、「向山洞門」を抜けると
国道は洞川橋に差し掛かります。
現在はこの橋によって地形を無視して一気に対岸へ渡っていますが
お約束どおり、ここにも地形に沿った旧道(洞門+橋)が存在しています。




抜けてきた向山洞門を振り返り見るの図。
こうしてみると異様に天井が厚いように見えます。
落石よりも天井が落ちてきそう・・・




さて、橋の袂から山側を見ると藪に埋もれた
骨組みのようなものが見えます。




旧道入り口はその大半が分断されており、
ご覧のように明確な旧道敷はほとんど残っていません。
電柱と向山洞門の擁壁の間を進みます。




味のありそうな骨組みが見えてきました。




既に天井も半分が失われており、鉄骨も朽ち果てています。
落石・雪崩を効果的に受け流す為、崖側(写真左側)に傾斜して張られている梁と
それを山側(写真右側)から支える鉄骨によって
六角形の頂点が現れて幾何学的な美しい風景になっています。

それにしてもこの道では大型車が一台通れば
離合も出来ません。
当時は絶対的な交通量も少なかったとは言え・・・






おとなりの洞川橋の竣工は昭和42年なので、
この道が使われていたのはそれ以前。
廃止後40年以上経ち、劣化は著しい状態です。
天井部分は大半が失われており、洞門内には無数の落石が
紛れ込んでいます。
また、鉄骨自体も激しく錆び付いており
あと何回雪の重みに耐えられるか・・・
逆にスカスカの部分は関係なさそうですがね(汗)




落石の攻撃を受けても敵わないのでさっさと
洞門を出ます。




朽ち果て崩壊の一途を辿る洞門を振り返り見るの図。
侘しさこみ上げる秋の廃道。




洞門を抜けると前方で藪が途切れています。




旧洞川橋です。






詳細な竣工年は不明ですが、欄干や親柱の雰囲気から昭和初期の竣工でしょう。
(昭和初期に道路改良が行われたようなので、その際の竣工でしょう)
さらに上流側にはかつて旧旧洞川橋があったようです。
橋の上はいまだ綺麗に保たれていました。




旧橋上から旧旧橋があったとされる方向(沢上流側)を見た写真です。
写真に滝が写っていますが、この滝を形成している水路は
北陸本線をオーパークロスする為に作られています。
この場所は本来、北陸本線の上り線(富山方面行き)が
深谷トンネル→子不知トンネルへ入る際の明かり区間になっていますが
ご覧のようにトンネルとトンネルの間にはシェッドが設けられており
トンネルが連続しているように見えます。
(写真左が深谷トンネル、写真右が子不知トンネル)




旧道はここで現道と合流します。
簡素なバリケードと頑丈なバリケードの
2重構成で外界とは完全にシャットアウトされている旧道。
さあ、次はいよいよ親不知・子不知探索の最終地点
子不知高架橋だ!




・・・といく前に、この旧道についてもう少し(^_^;
旧橋を渡りきって振り返ると、橋の袂から分岐している道があります。
おそらく旧旧道の一部と思われますが
実は旧橋の現役当時、一度だけこの旧旧道が国道として機能したことがあります。
いや、厳密には奥に見える北陸本線の子不知トンネル入り口まで・・・
そう、なんとあろうことか
子不知トンネルが国道8号線として機能していた
ことがあるのです。

昭和40年11月初旬、相次いで発生した大規模な
土砂崩れによってこの地の国道8号は完全に寸断されてしまいます。
付近に代替道路が全くない親不知が通行不能になってしまい
また、復旧に2ヶ月程かかることが予想されたため
事態は深刻でした。
折りしも当時の国鉄では各地の幹線で
複線電化が進められている最中でした。
北陸本線でもまず、下り線である新子不知トンネルが供用され
続いてここ、子不知トンネルの電化の為路盤掘り下げ工事が行われていました。
そういったことから災害当時はすべての列車で新トンネル経由での
運転が行われており、この鉄道トンネルである子不知トンネルを一時的に
国道トンネルとして利用することになったのです。




災害による不通は70日間(昭和40年11月上旬〜41年1月中旬)に渡りましたが
そのうちの後半30日間は子不知トンネルが国道として利用されました。
なんとか代替交通路が確保できたとは言え、
子不知トンネルは明治末期竣工の1.5kmもある単線のトンネルであり
単線廃隧道を車で通り慣れた廃線マニアと違い一般車の通行はさぞ困難だったでしょう。


代替国道は上図の「現在地」から旧旧道を経由して北陸本線・子不知トンネルに
入っていたようです。





深谷トンネルと子不知トンネル間にあるシェッドへは
ご覧のような保線用と思われる簡易な階段が設置されており、
容易に近づくことが出来ます。




シェッド脇から子不知トンネル方向を見るの図。
現在ではすっかりシェッドで覆われているので
坑口を拝むことは出来ませんが、かつてここが
日本海側最大の動脈である国道8号が通っていたのです。
ちなみに沢の対岸は深い藪に覆われていますが、
なんとなく平場が続いているように見えます。
ここが旧旧道敷きでしょうか?




坑口部分のアップ。
子不知トンネルの坑門はこれまで見てきた廃隧道と同様に
立派な石積みであることが確認できます。
また、銘板のようなものが見えます。
「・・平」でしょうか??藪で良く見えませんね(汗)
(現地では確認しなかったので・・・)




もうひとつおまけに。
坑口のすぐ脇にこんなものも。
えーと・・・これなんでしょうね(^_^;
橋台?




さらにさらに。
国道8号の救世主となった子不知トンネルは
現在はシェッドで深谷トンネルと繋がれ、
現在でも幹線として列車を通し続けています。
ちなみに写真はシェッド部分にあった保線用の入り口。
レバーに手を掛けると・・・普通に開いたww
(もちろん閉めて帰りました)





道は旧橋をくぐり、海へ向かって続いていますが
旧旧道は旧旧橋で対岸へ渡っていたはずなので、
この道は後補のものでしょう。
手前の橋脚が旧橋、奥が新橋のもの。
旧橋には種類の違う橋脚が使われており面白いですねヽ(^_^;




旧橋を下から見上げるの図。
これは廃洞門側の袂ですが、袂部分だけが
道に沿って曲げられていました。
なんだこりゃ。




廃洞門と廃橋を振り返り見て、
次回こそはいよいよ最終地点・子不知高架橋へ向かいます。




つづく


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