束松峠明治新道・束松洞門

その6



現在のR49藤峠開通前、越後街道はここ束松峠を越えるルートをとっていました。
しかし、輸送手段等に優れている(馬車が通れる等)藤峠が開通すると
それまでの束松峠を越えるルートは衰え、輸送で生計を立てていた束松峠沿線の住民
にとって大きな打撃を与える結果になってしまいました。
これを受け、束松峠沿線の住民が発起して束松峠の独力での改修を実行、
道路の改修に加え、峠に洞門を掘削することで馬車も通える新道(明治新道)を
明治27年、ついに完成させました。
こうして完成した新道の県道昇格を申請するも叶わず、
その後は鉄道輸送が本格化するに伴って衰退。
峠に作られた洞門も完成からわずか数年後には崩落してしまったという・・・
                      (「街道web」様 参考)





↓↓↓束松洞門の場所↓↓↓
mapion

通行日 2004年7月3日
走行レポート

束松峠の位置関係についてはこちら




3地点
道を見失い見知らぬ田圃の只中に出てしまいました。
遠くからは相変わらず草刈の音が聞こえてきます。
ここがいったいどこなのかというと・・・下の図をご覧ください。




これは概略図の一部(拡大図1の部分)を拡大して詳細を記述したものです。
束松洞門西側坑口から明治道を辿ってきたのですが、
調査不足で道が九十九折れになっているのに気づかなかったこと、
夏季で植物の勢力が凄かったこと
などの理由によって道を見失ってしまい、途中から降りられそうな斜面を見つけて
強引降りてしまった結果、図中の赤の点線のようなルートを辿ってしまったようでした。
(もちろんこれは帰宅後の調査で明らかになった部分です)
この合流した地点に細々と伸びていた畦道は実は束松峠昭和道だったのですが・・・
(束松昭和道については「街道web」様にレポートがありますのでご覧ください。)

・・・・・・・・・・・

激しい藪を抜けてやっと見知らぬ田圃の中に出ることができたdarkは
持っていた地図から大体の位置は分かっていたので
畦道(束松昭和道)を集落(軽沢)方向へ歩って行くと、
そこには先ほどから聞こえていた草刈の音の主(オジサン)がいたのでした。
草刈機のエンジン音で近づいて行く自分に気づいていないようだったので
「こんにちは」
と挨拶すると「へ?どっから来た?」みたいな顔でこっちを見たので
「山の向こうから洞門抜けて来ました」
と言うと
「ええー!?まだ通れたのかい?」
「ええ、通れましたよ」
こんな会話をしていると
「俺が子供の頃は洞門も普通に通れたんだけどなー」
とのお言葉。

年は聞かなかったのですがおそらく還暦ほどのお年と推測できたので
これは50年ほど前はまだ洞門は機能していた、と考えてよさそうです。

そうして色々と話をしているうちに
「山の向こう(東側)に戻んなら、車でいけるとこまで送ってやるよ!」
内心嬉しい気持ちを抑えながら、お仕事中悪いですよーと遠慮したのですが
結局お言葉に甘えることになりまして
ここ、県道終点まで連れてきていただけたのでした・・・




4地点
ここがその県道終点付近。
ここは束松平成道?ともいえる別舟渡線の西会津町側の事実上の終点です。
舗装の終点にヘキサが寂しく立っていました。
ここから束松峠の江戸期の街道、通称「塩の道」を通って
洞門の東側坑口前まで戻ることになります。
オジサンの車に乗せてきてもらってしまったので
この間の画像はありません、あしからずm(_ _)m




帰っていくオジサンの車。
ありがとう、オジサン。きっと無事に帰ります!
街道へは写真右に見える一段高くなっているところからアプローチします。
さて、図ばっかりで申し訳ないですがこの部分も少し説明が必要です。




上図(概略図中の拡大図2部分)をご覧ください。
オジサンには県道終点まで乗せてきてもらって
そこから街道へのアクセス路に入りました。
少し行くと本来の街道と合流して一路峠を目指します。




5地点
上図の中にも写真がありますが、これがアクセス路と本来の街道との合流点です。
奥のほうにちょこっと見える舗装路が県道で、
街道は県道を横切って奥の林の中へ。
街道はご覧のように草が生い茂っていて歩くのは中々困難です。
なのでオジサンは辿るのがより容易なアクセス路を薦めて下さったのです。
感謝感謝。
さて、ここから進行方向を右に変えて峠へ。





街道らしい道筋が残る。
思えば意識して「街道」を辿るのはこれが始めてな気がします。
街道初体験の始まり始まり〜





6地点
それほど整備されている感じは受けませんが、
かと言ってものすごい荒れているわけでもない。
会津坂下町側では街道筋が整備されているので
向こう側から峠を越えてくる人も少しはいるようです。
ついでにここはオジサンの通学路だったそうな。
(冬とかどうしてたんだろうか??)
これまでの少しハードな行程から開放されて旅人気分で涼しい
日陰を静かに歩く。




7地点
「戊辰戦争塹壕 会津軍塹壕」
ここに会津軍が掘った塹壕がありました。
砲陣などもあったようで、ちょっと実感が沸きませんが
ここでも激しい戦闘があったのでしょうね。




もうすぐ峠。
急な上り坂の奥に見える稜線のように見えるところが峠でしょうね。
ここで東北電力の鉄塔への道が分岐します。
オジサンが「鉄塔に行く道もあっからそっちじゃないほうを行ぎなよ」
と言ってくれたのですが、おそらくここのことでしょう。
重ねてオジサンには感謝ですねー、
こうも至れり尽くせりで探索というのは、もはや「探索」じゃない気がしてきた・・・
思えば往路の洞門もきっかけは「街道web」様だし、
復路の街道をすんなり見つけられて悠々と歩っているものオジサンのおかげ。
dark自身の成果一切無し!(笑)
しかし、こういう甘い探索もいいもんですねー(^_^;




8地点
そして期待通り峠へ到着。
峠には東屋と謎のブルーシートがかかった「何か」が2つ。
何だ?これは??




そして回り込んで覗き込むと・・・
あら、トイレだった( ̄∇ ̄;;
それにしてもこのトイレは・・・と、言うか景観ぶち壊しなんですが。。。
仮にも街道の峠ですよ??




気を取り直して峠からの風景をご覧ください。
東屋に腰掛け、峠を吹きぬける涼しい風を感じながら
しばし佇む。
・・・・
・・・・
・・・うわっ蚊が多い!
ゆっくりもしていられずに逃げるように峠を後にするのでした(^_^;




9地点
ともすれば向こう側からいまにも車がやって来そうな雰囲気の・・・街道。
まあ電力会社の人は入ってるでしょうが。




子束松跡。
なにやら雑においてあるこのバラバラにされたものが
子束松?なんでしょうか・・・




1地点
のんびり街道を歩くこと約30分、1地点の
街道と明治新道の合流点に到着。
ここまでくればゴール目前!そして、




2地点
無事自転車と合流!
かくして束松洞門探索は終わりを告げたのでした。
正確には全行程の半分以上が予定外な行程だったわけですけど(笑)
長かったような短かったような、不思議な探索でした。
「隧道西側のルートがトレース出来なかった」という宿題が残ってしまいましたが
でも面白かった、素晴らしい体験が出来ました。

次回はこの探索から約3ヵ月後のお話です



もう少しつづく


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