束松峠明治新道・束松洞門

その3



現在のR49藤峠開通前、越後街道はここ束松峠を越えるルートをとっていました。
しかし、輸送手段等に優れている(馬車が通れる等)藤峠が開通すると
それまでの束松峠を越えるルートは衰え、輸送で生計を立てていた束松峠沿線の住民
にとって大きな打撃を与える結果になってしまいました。
これを受け、束松峠沿線の住民が発起して束松峠の独力での改修を実行、
道路の改修に加え、峠に洞門を掘削することで馬車も通える新道(明治新道)を
明治27年、ついに完成させました。
こうして完成した新道の県道昇格を申請するも叶わず、
その後は鉄道輸送が本格化するに伴って衰退。
峠に作られた洞門も完成からわずか数年後には崩落してしまったという・・・
                      (「街道web」様 参考)





↓↓↓束松洞門の場所↓↓↓
mapion

通行日 2004年7月3日
走行レポート

束松峠の位置関係についてはこちら




入り口部分の瓦礫を慎重に降り、洞門内へ入ると
「街道web」様でも拝見した、この謎の支保工?です。
異常に高さが低く、普通に立っては通り抜けできないぐらいの
高さしかないのです。
しかも少しも天井とは接しておらず、いったい何のためのものなのか・・・
「支保工」と呼んでいいのかすら謎です。
(レポ中では便宜上、支保工と呼ばせて頂きますが)




地面には支保工と思われるものの木材が散乱しています。
しかし本当に何のために・・・




そして支保工を抜けいよいよ奥へ。
カメラのストロボが洞内の水蒸気に反射してしまって写真が見づらいです。
かといってストロボ焚かないと撮れませんしねー、難しい。
と、いうわけで以後一部見づらい画像がありますがご了承下さい。

実際洞門内は相当の湿度であり、地面は若干ぬかるんでいました。
そして天井が迫ってくる!入り口部分は天井が高い位置にありましたが、
支保工を抜けると天井の高さはぐっと低くなり、おそらく3〜4m程しか
無いのではないかと思います。




これは染み出してきた石灰分かな?
白い天井が続いている。




そして再び天井が高くなる。
再び現れる支保工の木材、何か天井の高さと関係があるのか。
ところでこの洞門は長さが約230mであるそうですが
やはりどんなに目を凝らしても出口の明かりはまったく見えず。
ただ漆黒の闇が続いています。




路面の両脇にまるで卒塔婆のように突き刺さった支保工の木材。




そして再び低くなる天井。
素彫りの荒々しい断面は凹凸があり、全体的に丸みを帯びた様は
まるで生物の体内のような。
そしてある程度進んだところで不思議な窪みを見つけた。
次の写真をご覧頂くと・・・






この横穴のようなものは何だろう?
進行方向左上にあるその空間は断面がここまでの内壁と比べても
格段にキレイに施工されている。
右上の写真で右方向に続くのが本洞で左上に伸びているのがそれです。
下の写真は空間の奥を拡大して撮影したものです。
どうやら奥は行き止まりになっているようでしたが・・・?
地元民(素人?)による掘削だったということから、最初はこちらから掘ろうとして
途中でミスに気づいて掘り直したとかあるんでしょうか?(^^;
はい、分かる方手を上げて下さーい(^o^)ノ




天井は相変わらず白い。
カビのようにも見えますねー
コウモリもたくさん出没してきました。




段々と天井が近くなってきたような・・・
いや、違う、路面が高くなってきている。
そしてその先にある異変に気づくのには時間はかからなかった。




正面に見えるのは紛れも無く、崩落の姿でした。
洞門の天井までを覆いつくす瓦礫の山。
隧道入り口から約10分、短い探索でしたが
とりあえず閉塞地点まで来れたことに満足し、入り口に戻ることに。
しかし最後に再び崩落を見上げ、帰ろうとした時。
嫌なものを見てしまった・・・
ではご覧頂きましょう。





「あのー、隙間あるんですけど・・・」
と、思わずボソッと呟いてしまった瞬間の写真(^_^;

束松洞門、閉塞しておらず。(泣)
でもこの滑らかな瓦礫の斜面を登れるのか・・・
仮に登れたとして登った先に空間はあるのか・・・
はたまた空間があっても反対側の坑口まで辿りつけるのか・・・
そして何より崩れないか・・・

色々な懸念が頭の中で飛び交い、突破か否かの決断を迫られ、
とりあえず瓦礫の様子や天井の状態を考慮して考えること数分。
そして出た決断は

「前進」




つづく


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