旧国道150号線 大崩海岸

その5





↓↓↓大崩海岸の場所↓↓↓
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通行日 2007年4月13日
走行レポート


※レポート中の写真をクリックすると大きな写真(640×480)が見れます。




海上橋の袂に戻ってきました。
最後に東海道本線の石部隧道を拝むことにしたdark、
しかし、洞門の探索に時間をかけ過ぎたのか
だんだん暗くなってきた・・・
というわけで急いで探索を開始!


ここで石部隧道を含めた大崩海岸の変遷について
地形図から分かりづらい解説(汗)を
作ってみましたので、よろしければご覧ください。

こちらから
(新しいウィンドウが開きます)






海上橋の西の袂にはご覧のような駐車スペースがあり、
その脇からコンクリの護岸が続いています。
ガードレールが切れている部分から下に降りられそうです。
ここから石部隧道の崩れた坑門が見えるそうなのですが・・・




上の写真を拡大すると・・・
おっ、あれか!
赤丸で囲んだ部分に横たわる瓦礫が見えます。
ここから見る限りでは護岸沿いに歩けば到達できそうですが、
これが行けなかったわけです(-_-;
darkには”テトラポッド渡り”が出来なかった、とだけ言っておきます・・・
と、いうわけで別ルートよりアプローチします。




旧国道を使って隧道の崖上からアプローチします。
ところでこの旧国道区間、洞門・隧道+急勾配と3拍子揃って
なかなか険しい道です、通行注意!
旧国道脇の草むらから海岸へ降りてゆく道があります。
写真のように側溝の脇をかなりの急勾配で降りていきます。
何気にロープが設置されてますが・・・




細道を降りていくと海が見えてきました。
海岸には散乱した瓦礫が見えます。




やがて少し広くなると不意に朽ちた橋台が見えてきました!
隧道前に辿りつけたようです。
写真には”桶”が写っていますが・・・




上の写真から左方向に石部隧道の坑口があります。
実はこの隧道、以前から人が住んでいます。
なので残念ながら坑口を正面から拝むことができません(T_T)
”桶”はここの住人の持ち物でしょう。




なぜ橋台があるのかと言うと
ここに先ほどの側溝の水が流れ込むからですね。
今は枯れているようですが。



うまく橋台の下に下りると・・・
目前にかの「坑口の残骸」が!
興奮を抑えつつ落ち着いて瓦礫の山を越えて行きます。




橋台を振り返り見るとこんな感じです。
恐らく隧道の主のお手製であろうの桟橋を使って
降りさせていただきましたw




視線を移すと、そこには隧道が!




!!!!!
二つ並んだ「東海道本線 初代石部隧道」焼津側坑口。
いくらなんでもここまで破壊され尽くされて朽ち果てている隧道は
見たことがない・・・
隧道周辺の路盤は山側の坑口前以外は殆ど無くなっているに等しく、
おまけに気休めにも程がある木のつっかえ棒が
路盤の消失した隧道を支えるようにして差し込まれています。
また残されている坑門の一部にも大きな亀裂が確認でき、
近い将来ここも崩れてしまうのかもしれません。
明治竣工ということもあって非常に立派な石積みで装飾された坑門。
隧道の内巻きは今でも鮮やかな赤が残るレンガ積みとなっています。
なぜこんなにも素晴らしいものが、こんなになるまで放置され
打ち捨てられてしまっているのか・・・
もし、現在に至るまで崩壊せずに完全な状態で現存していたなら
あるいは文化遺産と成り得たかも知れません。




この海側の坑門は昭和23年のアイオン台風
(:1948年台風21号、当時米軍の占領下だった日本では
アメリカ同様台風にA〜Zを頭文字にした名前が付いていた)
によって倒壊したと言われています。
2007年現在、倒壊から既に約60年経過している訳です・・・

坑口付近と違い隧道はその掘削部分だけでなく、
完全に地表部分までしっかりと石積みの施工がなされています。
こうして見ると坑口部分はいわば”飾り”だったのかもしれませんね。
この隧道本体部分、坑門と路盤を押し流すほどの波に晒されても
石一つ綻びの無いその屈強な姿は流石としか言い様がありません。




落ちている瓦礫の中にはこんなにも色鮮やかな煉瓦の欠片が・・・
波打ち際であり、常に波に洗われているため
蒸気時代の媒や土・砂等も綺麗に落ちているのでしょうか。




隧道前の瓦礫と化した坑門の前で記念撮影。
こうして人物比で見るとこの坑門がいかに巨大であるかよく分かると思います。
とにかくデカイ!(darkは身長173cmですから、そこから大きさを想像して下さい)
こんな大きな、かつ堅牢な建造物が
こんな風に破壊されてしまう・・・自然の力を思い知らされます。




隧道前にはこれまた素晴らしい煉瓦積みの暗渠が。
写真左奥には最初に見た橋台の裏側が見えています。




暗渠のアップ。
煉瓦の赤が鮮やかに残っています。
内部はすでに閉塞していました。







隧道から西側の状態。
完全に隧道だけが浮いた存在であり、そこにあったはずの
路盤・護岸など鉄道遺構の殆ど全てが破壊され尽し、瓦礫と化した海岸。
続いてこの先にあったはずの磯浜隧道用宗側坑口跡の探索・・・と、思ったんですが
先ほどの”テトラポッド渡り”失敗の余波(?)で
すっかり暗くなってきてしまいました・・・

※明るく見えるのはシャッター時間多めで撮影している為。
暗くてホワイトバランスが狂ってきました。

残念ながら今回の探索はここまでのようです。
うーむ、消化不良。
これはもう一度来る必要がありますね・・・
いつかまた来るぞ!



最後にこの大崩海岸の当時を写した非常に貴重な写真をご覧頂いて
現在の惨状と比較していただきながらレポを終了とします。


焼津市市制50周年記念写真集「やきつべ」より 
大崩海岸と東海道本線跡の道路敷。
鉄道の路盤、護岸など全ての鉄道建造物が残っています。
この頃から石部洞門海側の坑口は使われていなかったようで
柵で封鎖されているのが見えます。
山側の隧道のみが供用されており、 崖崩れ等での通行止めが
多かった崖上の県道(現在の旧国道)の代替路としての
役割があったようですね。またバス路線にもなっていたようで、
写真にも懐かしのボンネットバスが写っています。
写真右奥、海岸沿いには現役時の石部洞門も見えます。
(石部第二洞門はまだ無かった?)
現在。
全てが海に浚われ、只瓦礫のみが散乱し往時の姿を
残しているものは一つもありません。
写真右奥に見えるのが石部海上橋。
焼津市市制50周年記念写真集「やきつべ」より 
崩壊の途にある石部隧道海側坑門。
台風によって海側の護岸もろとも路盤が消失してしまっています。
山側の隧道はこの後もしばらくは道路として供用され続けたようですが・・・
傾いた隧道の坑門(半分)はさらなる路盤侵食によって
海岸に落下、二つに割れてしまいます。
排水路があったのか土管のようなものも見えます。
焼津市市制50周年記念写真集「やきつべ」より 
石部隧道-磯浜隧道間の道路敷(鉄道跡)
写真手前方向には現在失われている磯浜隧道用宗側の坑口が
あったはずです。写真奥の海岸線にはこれまた石部洞門が写りこんでいます。
崖上には県道(現在の旧国道)が見えます。
丁度、道路を自転車(?)で3人が走っているのが見えますね。




(完)


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