静岡市と焼津市を結ぶR150。
現在は旧東海道である日本坂を「新日本坂トンネル」(+石部トンネル)をもって
一直線に貫いていますが、過去の国道は山を避け海岸すれすれを通っていました。
その海岸名は・・・”大崩”海岸!
その名の通り大規模な崩落が起こり痛ましい事故が起こってしまったことで
海の上を通る橋が建設され、ある意味
「海上国道」と呼べる状態となりました。
そんなR150ですが、焼津バイパスの全通(新日本坂トンネル4車線化)によって
2004年に県道静岡焼津線に降格しました。
以下の地図を見てみるとこの海岸の凄まじき状態が
よく分かります。
西側から
東名高速道路「日本坂トンネル」・・・上下線3本
国道150号「新日本坂トンネル」・・・上下線2本
東海道新幹線「日本坂トンネル」・・・2本(複線)
東海道本線「石部トンネル」・・・2本(複線)
・・・と単純に計算しただけで9本、細かいトンネルも数えると?
実はさらに東海道本線の旧隧道もあるのです。
もうどうでもいいほど穴だらけとなっている日本坂。
現在では旧国道以外の全ての道路・鉄道がなんらかのトンネルを
通過していることが分かります。
と、つらつら書きましたが今回のレポでは石部海上橋区間の廃洞門と
東海道本線旧石部隧道をサラッとご紹介しようかと思いますです。
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旧R150の東海道本線石部トンネル前です。
北側に並走していた東海道本線がここでトンネルに入り
大崩の路は旧国道一本となります。
石部トンネルの現在の坑口はコンクリの洞門で
覆われた形になっていますが、
よく見ると石積み時代の名残が残っています。
これは複線の海側、下り線の坑口です。 |
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こちらは上り線の坑口。
上り線と下り線では坑口の位置がずれており、
こちらの上り線のほうが用宗寄りとなっています。 |
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さてさて、鉄道の変遷については後で詳述するとして、
まずはお目当ての海上橋に向かいます。
と、ここには国道だった時の証が・・・
(ちなみに新日本坂トンネルを通る新道の開通は2004年) |
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すると道は海側へ大きく張り出し始めます。
いよいよ海上橋です。
丁度ここが旧・旧旧の分岐点になっており擁壁が
直線に続いているのが分かります。 |
石部海上橋。
大崩の絶壁と打ち寄せる激しい波を避けるように
大きく海上へ張り出した橋。
そしてその絶壁にへばりつく様に続く洞門が見えます。 |
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海上橋と洞門の関係については上図のようになっています。
洞門は静岡側から焼津側に向かって
第三、第四(?)、第五、第一、第二の順に並んでいます。
問題の大崩落は色で示した部分で発生し、第五洞門が圧壊しました。
(第四洞門については、本当に第四なのかどうかちょっと未確認です) |
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この崩落によって犠牲になった方への慰霊碑が、
先ほどの分岐点(橋の袂)に設置されています。 |
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「鎮 魂」
(以下原文)
碑 誌
昭和46年7月5日午前8時46分頃
国道150号大崩海岸第5洞門上に
約3000立方米の土砂崩落の事故が
発生し通勤途上の相良町川田順氏が
不幸にもこの災害に遭遇し愛車とともに
23歳の尊い命がうしなわれました
このような惨事を繰り返さないため
直ちに海上橋の建設に着手し鋭意
工事を急ぎ昭和47年7月完成しました
ここにこの碑を建立し故人の霊を慰め
道路交通の安全を祈るものであります
昭和47年7月
僅か数10mの区間での事故への遭遇。
通過がほんの数秒違っていたら・・・さぞかし無念であったでしょう。 |
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碑の場所から見る大崩。
ほぼ垂直に切り立っており、その険しさが
ひしひしと伝わってきます。 |
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一歩踏み出せば目の前には石部第三洞門の姿が見えますが、。
行く手は斜面の一部となっており洞門の入り口とは
完全に分離されていて直接は近づけません。 |
と、いうわけで橋の下へ降りると・・・
おお!海上橋だ!という具合に橋の全容が良く見えます。
これだけ海に張り出してればある程度
大規模な崩落があっても問題無さそうですね。
で、肝心の洞門はというと側面から見てもやっぱり
入り口付近は殆ど埋まっているようです。
んでは内部探索と行きますか!
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