国道121号線 山王峠 旧道

その3


国道121号線、福島県と栃木県の県境にある峠が山王峠です。
この峠は古くから会津藩主の参勤交代などにも利用された「日光街道」(南山通り)の峠で、
近くには茶屋もあり、参勤交代はもちろんのこと伝馬、旅人の休息所として利用されたようです。
峠の標高は900mを越える険しいものでしたが、1980年には山王トンネルの開通によって
快適路に生まれ変わっています。
旧道化後25年、現状をレポートします。





↓↓↓山王峠の場所↓↓↓
mapion

通行日 2004年4月30日
走行レポート


※レポート中の写真をクリックすると大きな写真(640×480)が見れます。




峠は栃木県側へ向かって右カーブしており、そのカーブが峠になっています。
写真右奥のカーブが峠です、さて、それでは峠を越えますか!




そして峠を越えて栃木県側から福島県側を撮影。
標高906m、旧国道121号山王峠です。
ここは福島県と栃木県の県境であると同時に東北と関東の境でもあります。
写真のアスファルトの色が変わっているところが県境のようです、分かりやすい(^^;
そして峠には趣き深い標識、看板達も。




古い看板に新しい水準点の標識。
測量はしっかりと”関東”の測量部で行っているようです。
この峠、いまだ忘れられてはいないようですね。ちょっと嬉しい(^^;
他に営林署の看板などもありました。
昔の写真を見ると、かつてはかなりの数の看板があったようですが、
かなりすっきりとしたようです。
で、その昔の写真ですが↓です。




そこで昭和50年頃の山王峠の様子を少々。
写真は栃木県側を見ています。
栃木県と福島県の県境標識、R121おにぎり、バス停?、
九十九折れ注意、白看、他多数の標識が立ち並んでいますね(^^;
この風景の中で現存しているものは写真右側に写っている福島県の県境標識
(2枚上の写真の左側に写ってます)と九十九折れ注意の警戒標識のみです。




そしてやっぱり看板、標識の中にあってひときわ(darkに)目を引くのは
この白看でしょう(白看ばっかりですみませんw)
と、いうわけで白看と記念撮影(^o^;




時間は丁度お昼、峠でウロウロした後、
道の真ん中に座り込んで昼食を食す。
一度車道の真ん中に座り込んでゆっくりしてみたかったのです。
念願達成して満足しましたとさ( ̄ー ̄)v




それでは峠から下りにかかるとしますかね。
昭和50年当時からある九十九折れ注意の脇を通って栃木県に突入です。






栃木県側は福島県側にくらべて標高差が少なく、
距離も短くなっていますが、タイトなヘアピンが連続するので
大型車には辛いところがあったでしょう。
栃木県側でも法面の崩落は進んでいるようで、
素人目には近い将来、大きな崩落がおきてもおかしくないように見えます。




最後の広いカーブ。
ここを曲がると・・・




!!
路肩がバックリと割れていました。
道の半分ほどが無くなっており、あまり大きな車は通れないでしょう。
ガードレールも浮いてしまっています。





そして峠一?のタイトなヘアピン。
急カーブ、急勾配で一気に高度を下げていきます。




路肩の施工は石垣!
苔むした丸石の石垣はなんとも言えない雰囲気がありますよね。
さらに山肌にガードレールの白い筋が広がる光景、好きです(^^)




そして先ほどの崩落地点の真下を通過。
下から見るとこんな感じです。
前後区間は若干ぬかるんでいて、崩落地点も盛り上がっていますが
車両の通行にはそれほど支障がなさそうです。
峠の水準点は崩落後も車両が入ったことを物語っていますから、
必然的にこの先はこれ以上の大きな崩落は無いはず。
どうやら安心してこのまま探索を終えられそうですね・・・(^.^)



つづく


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