国道352号線 旧道 小室岪(へつり)

その3

伊南村の国道352号線を檜枝岐村方面へ向かって走ると途中、川の左岸を走っている国道が
非常に険しい断崖を避けるように右岸へと迂回している箇所があります。
崩落を繰り返し、もはや斜面と化している”小室岪”
そこには現在の国道の元となった紛れも無い旧道が眠っています。





↓↓↓小室岪の場所↓↓↓
mapion

通行日
2004/10/17

走行レポート


※レポート中の写真をクリックすると大きな写真(640×480)が見れます。




そして目的のものは突如として現れた!
・・・と、いうわけでは無いです。知ってました(^_^;
これこそがかつてここに道が通っていた証ともいえる
道路構造物。
ちなみにこれを対岸の国道から見ると




こう見えます。
かなり目立ってるのがお分かりでしょう。
旧道敷きはこの構造物の上を通っていたと考えられますが・・・
そう考えると先ほど見たコンクリの法面はやはり旧道の
ものだったのかもしれません。




アーチの内部は、というとご覧のとおり
自然のままの岩盤を拝めます。
これはへつり道を通すに当たってその幅員を確保するために作られた
桟橋のような役割だったのでしょう。




その証拠にこの構造物の上にはさらに高々と
玉石の石垣が聳え立っています。
しかしここから見る限りではその上を通っていたはずの旧道は
やはり深い藪に覆われてしまっているようでした。




構造物を後にして少し進むとついには川原沿いも進めなくなり、
この辺で上へ登る必要がありそうです。
そして上を見上げるとそこにはなにやら人工的な路肩が。
アレが旧道敷きか!?




こうなると登るしかないので全ての持ち物をリュックに入れて
登坂開始!
遠めには簡単そうに見えた登坂もその急な斜度と絡みつく藪、
そして我が身の体力の無さに非常に苦労しました(^_^;




20〜30mほど上るとやっとこさ目の前に石垣とコンクリで出来た
昔ながらの路肩が姿を現しました。
コンクリには等間隔に四角い穴が開いていましたが、これは?
排水溝?謎・・・
3mほどの高さがあるこれに登ると




そこはやはり旧道敷きでした。
やはり藪に覆われていますが、なんと舗装されているようです。
右の写真は登ってきた方向を撮影。
落ちなくて良かった(滝汗)






せっかく旧道敷きに復帰できたのだから少し戻ってみることにしました。
うまくいけば先ほどのコンクリの法面の場所にたどり着けるかもしれませんし。
進んできた方向(東側)を見ると路肩同様、法面もまた石垣での施工でした。




しかしこの先はいきなりこんな状態に・・・
前方が藪で見えない上に、地面は川に向かって傾斜しており
進むにつれてその傾斜が大きくなっていっているようでした。
反対側同様にこの状態になっている、ということは
おそらくは大規模な崩落があったのでしょう。
もし滑落したらヤバイ、そればかりが頭をよぎったのであえなく断念(-_-;)
何事もあきらめが肝心です(^^;




旧道を現道方向へ進むとまもなく無事に合流できました。
ふと自分の体を見てみると泥やら、草の汁やら、
「バカ」※が沢山ついており、なんとも汚らしい格好になってました。
まあいつものことですが。

※管理人の地元では「バカ」と呼びますが、実物はこれです。
「アメリカセンダングサ」という大そうな名前が付いてるんですね〜
TUKAさん、sunnypandaさんから情報を頂きましたm(_ _)m)




たぶん分かりづらいレポだったと思うのでここまでの道のりを
分かりづらい図で示してみました。
黄色い線が今回辿ったと思われるルートです。




奥会津の原風景を眺めながらお茶で一服。
次は冬に来て見たいですなぁ。




現道を戻っていると、途中に慰霊碑がありました。
現在でもお供えをする人が後をたたないようです。
この碑の裏面にはこのへつりの名前(これでここの名前が分かりました)と
過去にあった悲劇が書かれていました。
以下、原文のままです

・・・・・

小室岪旧道の断壁にて
転落、或いは落石により死亡された
六人の霊よ安らかに眠り給え

昭和41年秋 建立

・・・・・




険しいこの場所には悲しい過去があったようです。
何事も無く探索を終えられたことに安堵しつつ、
亡くなられた方々に合掌し、この場を後にしました。







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