終戦後、昭和33年発行の地形図です。
ここに来て大きな変化が見られます。

●日本坂隧道の完成●
前述の通り、昭和19年に完成した日本坂隧道は
一時的に東海道本線のトンネルとして使われます。
それまでの石部・磯浜両隧道は断面が小さく、
大きな貨物等が通行出来なかったことから
改修の必要があった為です。
しかし戦争の悪化による工事の中断、
台風による石部隧道焼津側坑口の倒壊と相まって
石部・磯浜隧道は半ば放棄される形となってしまいます。
結局日本坂隧道は新幹線での使用が決まり、
東海道本線用として石部隧道が現在の形に
改修されるまで、以後18年(昭和37年まで)に渡って
東海道本線で使用され続けることになります。

●県道の開通●
大正9年、崖の上に県道(現在の旧国道)が
開通しましたが昭和33年には
既に2級国道に昇格しています。
(昭和40年に一般国道150号に)
当時から落石や自然災害による崩落などが頻発し、
その度に通行止めを繰り返す険しい道だったようです。
昭和9年には当目隧道が、同16年には石部洞門が、
それぞれ建設され、道路改良が行なわれました。

●石部・磯浜両隧道の車道供用化●
昭和19年に東海道本線が日本坂隧道経由になった為、
残された両隧道はがけ崩れが多く、通行止めの多い
県道の補完として一時的に車道化されました。
地図には確かに車道として描かれています。
昭和23年には台風によって石部洞門焼津側の
海側坑口が倒壊し、路盤も流出してしまいますが
道路としての供用は山側一本のみだったようで、
倒壊後もそのまま使用され続けたようです。
(今だったら間違いなく通行止めですね)
昭和25年には地元の静岡鉄道が両隧道を含む区間の
鉄道敷設免許を受けましたが、その後の
新幹線計画によって日本坂隧道を新幹線が
使用することとなった為、東海道本線が出戻りで
再び石部隧道を使用することとなり
静岡鉄道の鉄道敷設計画は消えてしまいます。
昭和33年発行 国土地理院1/2.5万地形図 「焼津」