大正8年発行の地形図です。
明治42年には名称が「東海道本線」と
現在の名前になり、また大正2年には全線の
複線化が完了しています。
(石部・磯浜両隧道の海側と山側、
どちらが後築かは分かりません)

地形図上は鉄道の表記が現行と同じくなった
以外はそれほど大差は無いですが、
明治の地図で鮮明に描かれていた
「静浜街道」は点線表記にランクダウンしています。
いや、明治からすでに荷車は通せなかった訳ですから
ランクダウンとは言えないか・・・これは単なる表記変更、
といったところでしょうか?

どちらにしても鉄道の開通によって
海岸沿いの危険な波打ち際を
通らなければならない街道から、移動手段が
鉄道にシフトしていったことは間違い無いでしょう。

この後、昭和初期にかけて日本の戦時色が
色濃くなっていくのですが、その時に計画されたのが
「弾丸列車計画」です。(詳しくはリンク先参照)
この壮大な計画は戦況の悪化に伴って
昭和18年には頓挫してしまうのですが、
一部のトンネルの建設は続行され終戦間際の
昭和19年に現在の東海道新幹線のトンネルである
「日本坂隧道」が完成することになります。
大正8年発行 国土地理院1/2.5万地形図 「藤枝」